聖母マリアのお告げに纏わる奇跡の泉・ルルド、黒いマリア様と云われる
聖サラが祀られるサント・マリー・ドゥ・ラ・メール、
マグダラのマリアの聖遺骨が祀られるサント・マリー・マドレーヌ教会、
マグダラのマリアが冥想を続けたサント・ボームの洞窟を訪れます。
また、終末説で脚光を浴びた聖地ビュガラッシュ、
ヨーロッパ最大の城塞都市カルカッソンヌ、
印象派ゴッホで知られるアルルの観光も含まれます。
日程 | 都市名 | 交通 | 時刻 | スケジュール | 食事 |
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1日目 | 東京・大阪発 ルルド着 |
航空機 バス |
昼頃 夜 |
東京・大阪より空路(パリ乗換)ポーへ 着後、バスにてルルドへ (ここから日本語係員がお世話いたします。) <ルルド泊> |
機内 |
2日目 | ルルド 滞在 | 徒歩 | 昼頃 夜 |
徒歩にて奇跡の泉がある聖域(サンクチュエール)やルルドの町を散策いただききます。 希望者は可能な場合、沐浴も体験いただけます。 <ルルド泊> |
朝食 昼食 夕食 |
3日目 | ルルド発 ビュガラッシュ カルカッソンヌ着 |
バス | 午前 午後 |
バスにて一路ビュガラッシュへ ビュガラッシュ山と村を散策いただききます。 一路カルカッソンヌへ 欧州一の要塞都市を散策します。 <カルカッソンヌ泊> |
朝食 昼食 夕食 |
4日目 | カルカッソンヌ 発 サントマリー・ドゥ・ラ・メール アルル 着 |
徒歩 | 午前 午後 |
バスにて一路サント・マリー・ドゥ・ラ・メールへ 聖サラが祀られる町の教会を訪れます。 その後、ゴッホの作品の面影が残るアルルへ <アルル泊> |
朝食 昼食 夕食 |
5日目 | アルル発 サント・ボーム サン・マキシマン着 |
バス 徒歩 バス |
午前 夕刻 |
バスにて一路サント・ボームへ マグダラのマリアが30年以上も冥想を続けたサント・ボームの洞窟を訪れます。 その後、一路サン・マキシマンへ マグダラのマリアの聖遺骨が祀られるサント・マリー・マドレーヌ教会へ <サン・マキシマン泊> |
朝食 昼食 夕食 |
6日目 | サン・マキシマン発 マルセイユ発 |
バス 航空機 |
朝 または 午後 |
バスにてマルセイユ空港へ (日本語係員はここでお別れいたします。) 空路(パリ乗換)帰国の途へ <機中泊> |
朝食 機内 |
7日目 | 東京着・大阪着 | 朝 または 午後 |
東京・大阪到着、お疲れ様でした。 |
聖母マリアが現れ、いくつもの奇蹟が起きたことで世界的に有名な聖地です。
サンクチュエール(聖域)にある泉の水を飲むと病が治るといわれ、病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6,700人。
そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と66人の人が認定されました。
今も年間600万人もの人々が奇跡を求め、この地に祈りにやってきます。
ピレネー山麓の小さな村が聖地となったのは19世紀のこと。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけです。
1858年2月11日、貧しい家庭に生まれた14歳の少女ベルナデッタが山で薪を拾っていたところ、聖母マリアに出会います。
そしてお告げの場所を掘ったところ、泉が吹き出し、その水を飲んだ人々は次々に病が治るという奇跡が起こりました。
さらに聖母マリアと13回目の出会いのとき、「罪をつぐなうことと、ここで行列をし、聖堂を建ててほしい」とのお告げを聞き、
今のサンクチュエールが建てられたといいます。
泉をみつけたベルナデッタは、その後35歳で永眠。
しかし、不思議にも彼女の遺体は腐敗せず現在はヌヴェール市(パリから約2時間)にあるサン・ジルダール修道院教会でまるで今でも生きているかのように安置されています。
町の呼び名の意味は”海の聖マリアたち”
9世紀に建てられた町のシンボルである教会の名前は「L'EGLISE FORTERESSE」、教会要塞と呼ばれているそうです。当時は、教会としての役割の他に町の人々を守る要塞の役割も果たしていました。
海賊やサラセン人(イスラム系)たちに、襲われることも多かった南フランスの港町なのです。
イエスの磔刑・復活に立ち会った3人の女性使徒=マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベと、従者のサラ、マルタ、ラザレが、迫害を受けながらも、オールも帆もない小舟で辿りついたのが、サント・マリー・ドゥ・ラ・メール!
ここからそれぞれ布教を続けますが、この地に残ったのは、マリア・サロメとマリア・ヤコベと従者サラ。
このマリアたちが町の名前の由来なのです。この二人のマリアと一緒に残ったサラは、エジプト人で肌が黒かったそうです。
サント・マリー・ドゥ・ラ・メールには、ジプシー(ジタン)が多く住んでおり、このジプシーの守護神となっているのが、この聖サラ。
ここにジプシーが多いのは漁が盛んで、その魚を狙って鳥もたくさんいることから食に困らないのだとか。
聖サラが彼らの守護神となっているのは、肌の色が近いから・・・ではなく、サラが癒しのチカラで、瀕死のジプシーの子供を救ったから、と言われているそうです。
イエスの磔刑・復活に立ち会った3人の女性使徒(マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ)のひとり、迫害を受けながらも南フランスのサント・マリー・ドゥ・ラ・メールに辿り着いた後、それぞれ布教を続ける中、マグダラのマリアは、この洞窟で33年間、瞑想を続けました。
マルセイユから車で1時間、更に徒歩で1時間の小高い山の上にこの洞窟はあります。
深く長い森を抜けると、目の前に険しい岩山が現れ150段の石段を上るとやっと洞窟が現れます。
階段のまわりにはたくさんの十字架、大きな岩の下にはイエスの磔像とその足元にはマグダラのマリア像。
洞窟の入り口にはピエタ像。聖母マリアとマグダラのマリアが、十字架から降ろされたイエスを抱えています。
予想以上に広い洞窟の中は薄暗く、そしてやや湿っています。
大きな岩の後ろには、『悔悛するマグダラのマリア』像!
ひっそりと隠れるようにあり、一人で瞑想生活をしているマグダラのマリアを見ているような気になります。
祭壇の上には思いに耽るマグダラのマリアと、その裏には遺品が祀られています。
長い山道を歩いてこのサントボーム洞窟を訪れる人々は、それぞれの思いを込めて静かにお祈りをしている、とても神聖で神秘に満ちた聖地なのです。
サン・マキシマンは小さな田舎町ですが、その割に大きな町の教会がこのサント・マリ・マドレーヌ大聖堂。
『マリー・マドレーヌ=マグダラのマリア』の意味。
地下礼拝堂にマグダラのマリア様の頭蓋骨部分が聖遺骨として収められております。
教会内は広々として、祭壇部分はとても装飾彫刻の多いことでも有名。
また、教会内にはお店がありマグダラのマリアに関するグッズ等多く販売されています。
この教会の回廊は「ホテル・クーヴォン・ロワイヤル」とつながっています。
2012年12月の古代マヤの滅亡の日とされる日に、世界各国から人口200人ほどの小さな村に数百人もの終末論者が集まった話は大きなニュースになりました。
また、一説によるとビュガラッシュ山は岩山が磁力で囲まれており、宇宙人の基地があると言われており世界中のUFO研究家が注目する場所で、UFOの目撃情報も幾度となくよせられているとか・・。
近年はパワースポットとして、多くの観光客が訪れるようになっています。
カルカッソンヌは南フランスにあるヨーロッパ最大の城塞都市として世界中から多くの観光客が訪れています。
1997年に「歴史的城塞都市カルカソンヌ」という名称でユネスコの世界遺産に登録されました。
長さ3キロの城壁に囲まれ、城壁の塔の数は52塔、その中心部シテの歴史は2500年にも及びます。
世界遺産登録後は、モン・サン・ミッシェルに次ぐ年間来訪者数を誇るフランスの代表的な観光名所です。
「カルカッソンヌを見ずに死ぬな」という格言が生まれたのも納得の観光地です。
アルルは古代ローマ時代から中世にかけての歴史の息吹が強く感じられる町。
ローマ時代には首府が置かれ、今なお闘牛が行われる円形闘技場や劇場、プロヴァ ンスに現存する最大の浴場や、さらに郊外には大規模な墓地など数多くのローマ遺跡が点在しています。
中世には宗教の中心地でもあり、ロマネスク様式のサン・トロフィーム教会には彫刻装飾の美しい回廊が残り、春から秋にかけて、大勢の観光客が訪れています。
そ してアルルはヴァン・ゴッホが晩年過ごした町としてもあまりにも有名です。
南仏の強烈な太陽を求め、 1888年2月にアルルに赴いたゴッホは翌年の5月まで滞在し、彼の代表作である「跳ね橋」や「夜のカフェ・テラス」などを含む200点以上もの作品を制作しています。
今でもそれら絵画に描かれた風景はアルル近郊のあちらこちらに見ることができ、ゴッホを愛する人々が絶え間なく訪れています。
基本コースの6日目以降、パリの滞在を追加して以下のプランを組み込むことができます。
NEVERS SAINT-GILDARD修道院(ヌヴェール・サン・ジルタール修道院)
ベルナデッタが眠る場所(ESPACE BERNADETTE)
ピレネー山麓の小さな村「ルルド」が聖地となったのは19世紀のこと。
貧しい少女の前に聖母マリアが出現し、奇蹟が起きたことがきっかけです。
1858年2月11日、貧しい家庭に生まれた14歳の少女ベルナデッタが山で薪を拾っていたところ、聖母マリアに出会います。そしてお告げの場所を掘ったところ、泉が吹き出し、その水を飲んだ人々は次々に病が治るという奇跡が起こりました。
さらに聖母マリアと13回目の出会いのとき、「罪をつぐなうことと、ここで行列をし、聖堂を建ててほしい」とのお告げを聞き、ルルドには今のサンクチュエール(聖域)が建てられたといいます。
泉をみつけたベルナデッタは、その後35歳で永眠。
しかし、不思議にも彼女の遺体は腐敗せず現在はヌヴェール市(パリから約2時間)にある
サン・ジルダール修道院教会でまるで今でも生きているかのように安置されています。
追加費用58,000円(お一人様)
費用に含まれるもの
・パリ途中降機航空券追加費用
・パリホテル2泊費用(フランス・ダンタン他)
・朝食1回、昼食1回(修道院)
・ヌヴェール往復列車代
・サンジルタール修道院見学費用
・ヌヴェール1日観光に同行する日本語アシスタント費用
・空港往復送迎(混載車&英語ドライバー)
最少催行人員2名様
日程 | 都市名 | ||||||||||
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6日目 | 午前:マルセイユより空路パリへ 午後:パリ着後、送迎車にてホテルへ、着後フリー <パリ泊> |
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7日目 |
ベルナデッタが眠る、サンジルタール修道院1日観光(日本語アシスタント・昼食付)
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8日目 | ホテルにて朝食 午前または夕刻:送迎車にて空港へ 昼または夜:空路帰国の途へ <機中泊> |
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9日目 | 朝または夕刻:東京・大阪着 |
LISIEUX(リジュー)
聖テレーズが生きた町、フランス第二の聖地
キリスト教徒(カトリック)の方はもちろんご存知だと思いますが、SAINTE THERESE(聖テレーズ)は、フランスでは、ジャンヌ・ダルクにつぐ、フランス第2の守護聖人です。
この聖テレーズが生きた町がリジュー。現在に至るまで多くの観光客が訪れるヨーロッパ屈指の世界遺産で聖テレーズの足跡を辿ります。
聖テレーズ大聖堂はルルドに次ぐ巡礼地として世界各国から信者が訪れるそうです。この大聖堂は、聖テレーズが亡くなった後、1925年に聖人とされた後の1937年7月11日に聖テレーズのために造られました。
また、その周辺には聖テレーズの家、聖テレーズ家族が通っていたサンピエール大聖堂、聖テレーズの遺骨が納められているカルメル修道院など是非とも訪れたいところが点在しています。
有名なシャンソン歌手エディット・ピアフも、ここを訪れて目が見えるようになったと言われています。
追加費用65,000円(お一人様)
費用に含まれるもの
・パリ途中降機航空券追加費用
・パリホテル2泊費用(フランス・ダンタン他)
・朝食1回、昼食1回
・リジュー往復列車代、移動のタクシー代
・各施設や修道院など聖テレーズに纏わる場所の見学費用
・リジュー1日観光に同行する日本語アシスタント費用
・空港往復送迎(混載車&英語ドライバー)
最少催行人員2名様
日程 | 都市名 | ||||||||||
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6日目 | 午前:マルセイユより空路パリへ 午後:パリ着後、送迎車にてホテルへ、着後フリー <パリ泊> |
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7日目 |
リジューで聖テレーズの足跡を訪ねる1日観光(日本語アシスタント・昼食付)
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8日目 | ホテルにて朝食 午前または夕刻:送迎車にて空港へ 昼または夜:空路帰国の途へ <機中泊> |
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9日目 | 朝または夕刻:東京・大阪着 |
DOMREMY LA PUCELLE(ドンレミ村)
フランス第一の守護聖人ジャンヌ・ダルクが大天使ミカエルの声を聞いた、
彼女の生まれた村
パリから車でおよそ4時間30分の田舎の村(ドンレミ村)は、フランスの救国のヒロイン「ジャンヌ・ダルク」が生まれた村です。
仏英百年戦争の末期、英国&ブルゴーニュ派連合軍に、フランスが国土の大半の領地を奪われフランス国王の座をも、英王に取られようといてる時、最後の主要な町オルレアンを失えばこれでフランスが消滅してしまう危機に迫っていました。
そのとき、神の声(大天使ミカエル)を聞いたジャンヌ・ダルクが、数日でオルレアンをイギリスから解放しフランスを救ったのです。
ジャンヌはドンレミ村の1本の古いブナの巨木(ブーモンの妖精の木)の近くで大天使ミカエルのお告げを聞いたのです。
この地方では古くから妖精たちの木と言われ、この木のすぐ近くの泉は、病を治す「奇跡の泉」という言い伝えがありました。
ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いたと言うこの神聖な場所は、ジャンヌの死後「ボワ・シュヌ教会」がジャンヌに献堂されています。今ではわずかな水量となっていますが、聖なる泉として遠くこの地を訪れる人が後を絶ちません。
ドンレミ村ではドンレミのボワ・シュヌ大聖堂と奇跡の泉、ジャンヌ・ダルクの生家(ジャンヌの博物館になっています。)、サン・レミ教会など訪れます。
また、ジャンヌが一番最初にオルレアン解放を訴え従者を整える協力を得たヴォークルール村に立ち寄ります。
追加費用78,000円(お一人様)
費用に含まれるもの
・パリ途中降機航空券追加費用
・パリホテル2泊費用(フランス・ダンタン他)
・朝食1回、昼食1回
・ドンレミとヴォークルール1日観光
(ミニバン&英語ドライバー&日本語アシスタント付)
・空港往復送迎(混載車&英語ドライバー)
最少催行人員2名様
日程 | 都市名 | ||||||||
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6日目 | 午前:マルセイユより空路パリへ 午後:パリ着後、送迎車にてホテルへ、着後フリー<パリ泊> |
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7日目 |
ドンレミ村とヴォークルール1日観光(日本語アシスタント・昼食付)
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8日目 | ホテルにて朝食 午前または夕刻:送迎車にて空港へ 昼または夜:空路帰国の途へ <機中泊> |
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9日目 | 朝または夕刻:東京・大阪着 |
パリ2泊+モンサンミッシェル1日観光付
大天使ミカエルの岩山、世界遺産・モンサンミッシェル
パリから北西へ約400km、ノルマンディー地方南部のサンマロ湾に浮かぶ岩山でフランスで最も有名な巡礼地のひとつ。
8世紀、ノルマンディー司教オーベールが大天使ミカエルのお告げを受け、この地に礼拝堂を建てました。 島内の修道院は966年にベネディクト派のものとして設立。
その後、時代を追って増改築が行われ、13世紀にはほぼ現在のような形になりました。増改築を重ねたため、さまざまな建築様式を見ることができるのも特徴です。
中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきましたが、周辺の湾はヨーロッパ最大の干満が観測され、かつては多くの巡礼者が波にのまれました。
現在は堤防によって本島と結ばれ、潮の満ち引きに関わりなく訪れることができます。
1979年「モンサンミッシェルとその湾」としてユネスコ世界遺産に登録。
現在に至るまで、多くの観光客が訪れるヨーロッパ屈指の世界遺産です。
追加費用52,000円(お一人様)
費用に含まれるもの
・パリ途中降機航空券追加費用
・パリホテル2泊費用(フランス・ダンタン他)
・朝食1回、昼食1回
・モンサンミシェル1日観光(日本語ガイド付)
・空港往復送迎(混載車&英語ドライバー)
最少催行人員2名様
日程 | 都市名 | ||||||||||
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6日目 | 午前:マルセイユより空路パリへ 午後:パリ着後、送迎車にてホテルへ、着後フリー<パリ泊> |
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7日目 |
モン・サン・ミッシェル1日観光(日本語ガイド・昼食付)
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8日目 | ホテルにて朝食 午前または夕刻:送迎車にて空港へ 昼または夜:空路帰国の途へ<機中泊> |
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9日目 | 朝または夕刻:東京・大阪着 |